私は子どもを信じます

原発事故が起こって、原発を擁護する方、脱原発を目指そうという方、それぞれにご意見が飛び交っています。
私は私なりに、大人である自分の意見をもっていますが、ここは子どもたちがやってくるブログです。あえて、それは書きません。
でも、私が一番信じているのは、子どもたちの感覚です。
原発はなぜあるの?
このまま原発を使い続ければどうなるの?
そのことを、子どもたち自身が考えてくれることが、大切だと思うからです。
子どもたちがどう感じるのか、その感じたことこそが、一番信じるに足ることだと、私は思っているのです。
どんな大人の理屈より、子どもたちは真実を見抜いています。
それは、児童文学を書く人間として、常に感じていることですから。

世界がエールをおくっている!


(この画像は数日で削除します)
new英国、インディペンデント紙の一面に、東北への日本語エールが!※関係新聞記事はここ
米紙ウォールストリート・ジャーナル、「不屈の日本」※関係新聞記事はここ
世界各地からのエール※関係新聞記事はここ

後藤竜二さんを偲ぶ会アルバム

先日、北村夕香さんから、季節風びわこ道場の実作原稿が届きました。
そこに、手作りのミニアルバムが……

偲ぶ会の準備から会の進行、参加者の表情までが記録された小さなアルバム。
それを見て、季節風って、なんて愛の深い同人だろう…と、感動しました。

アルバムの1枚。受付三人娘(?)
細い順に、あさのあつこさん、八束澄子さん、越水利江子です。
偲ぶ会なのに、三人とも笑顔です。
それは、この会がとても素晴らしいものだったから。
この小さなアルバムに、あの日の愛がいっぱいつまっていました。
この気持ち、写真を見て下さると、わかってもらえるでしょうか。

全国同人誌連絡会「季節風」105号

季節風」が届きました。
ぶ、分厚い!
今号の投稿作品のほかに、秋の季節風大会の推薦作が掲載されているからです。
創作は読んだものまだ読めていないものがあるのですが、それにしても、季節風は凄いと思ってしまいます。こんなに力量のある書き手が沢山集っている場所は、おそらく、季節風をおいて他にないでしょう。
そして、今回の特筆することは、後藤竜二代表亡き後、代表をつとめて下さることになったあさのあつこさんの投稿作品評がたっぷり読めるところです。
これまで、辛口で知られてきたあさの選評の愛が深まったことに気づかれましたか? これは、あさのさんが本気で季節風を支えていこうと決心されたからだと、私は感じました。
あさのさんが頑張って下さる限り、私も季節風を支え続けようと思っています。後藤さんがお元気でいらっしゃる時は、そろそろ私がでしゃばらなくても、若い方々にバトンタッチしてもいいのではないかと思ったことがありました。
京都に住んでいるので、編集会議はいつも遠距離であり、なかなか思うように、後藤さんや高橋秀雄さんたちの手助けができないのが気鬱でもありました。
なんといっても、後藤さんは若い書き手、新しい書き手に囲まれていらっしゃるのが一番似合う人でしたし、そういう後藤さんを見るのが、私はとても好きでしたから。
でも、予想だにしなかった後藤さんの急死……に、すべてがひっくり返りました。
初めに思ったのは、なんて、私は贅沢だったのだろうと思うことでした。後藤さんというビクともしない大黒柱がそびえていてくれたので、私は進退も自由だったし、勝手な行動ができたのです。
それは、おそらく、私だけでなく、古い編集委員はすべて同じことを感じているのではないでしょうか。
そう、後藤さんを失ったことで、新旧の編集委員も、会員も、みんな目が覚めたのです。私たちは、なんて大きな懐の中でぬくぬくと生きてきたのだろうと。
その後藤さんが抜けてしまった穴を埋めるには、みんなが力を合わせるしかないのです。その旗を掲げる役割を、一番しんどい役割をあさのさんは引き受けて下さいました。協力しないと、罰が当たります。というか、後藤さんが怒ります。
というわけで、105号の感想を少し。
今回は嬉しいことに、評論が二作掲載されました。評論に力を入れたいというのは、後藤さんの願いでしたから、きっと後藤さんも喜んでいらっしゃると思います。
尼子十勇士伝―赤い旋風篇土山優さんの『尼子十勇士伝 赤い旋風』は、ぜひ『尼子十勇士伝 赤い旋風』を読了後、読んでほしいです。そうでなければもったいない。私は、最後の三行に泣こうかと思いました。山中鹿之助後藤竜二が重なって……。
野澤朋子さんの「現実を超えていく物語と言葉の冒険」は、新旧児童文学、ノンフィクション、映像作品、翻訳文学など幅広く取り上げた評論でした。そういう意味では、土山さんの一作を掘り下げる濃さとは対照的に、キーワードを繋げながらその世界を拡大していく評論といえるでしょうか。これはこれで、面白かったです。
私はこの対照的な評論を書くお二人のファンでもあります。だからこそ、お二人に、さらに挑戦してほしいです。
土屋さんには、立川文庫から始まる現代の歴史児童文学、時代ファンタジーなど(季節風でも時代小説を書いている作家は後藤竜二あさのあつこ、吉橋通夫…他、決して少なくありません)、多くの作品の歴史的評論、さらにその一作ずつを深く濃く評論してみてほしいと願います。
野澤さんには、季節風から生まれ出た作品群、あるいは作家その人を追った大きな評論を書いて頂きたいと願います。
あさのあつこさんを筆頭にこれほどの作家群がいながら、素晴らしい評論家だった大岡さんが亡くなった後は、季節風の作品群あるいは季節風の作家を深く掘り下げた評論は生まれていません。そのことを、後藤さんも残念に思っていらっしゃいました。
作家、後藤竜二を掘り下げて下さる評論は、もはや土山さんの他にはないと、これは衆目の一致するところでしょう。
さて、多くの創作については、編集委員の投稿作品評がありますので、ここでは控えますが、今回、この投稿作品評が見づらかったです。やはり、これまでのように、委員ごとに作品評をまとめて掲載するのが見やすいと思います。
一方で、一つの作品についての違う見解を掲載するのはいいと思いました(私も担当ではないけれど作品評を書きたい作品がこれまで幾つかありました)。講評担当作品の他に、そういうものも採用して掲載してもらえればいいなと思いました。複数の作家に評されることで、書き手も励まされるでしょうし、また、自作を客観的に見る力になります。この場合、一つの作品に一つ以上の評があれば、そういう質の作品だということも伝わっていいと思います。
満場一致で評価する作品はあっても、満場一致で全く評価されない作品はないのですから。
最後に、今回の編集委員、飯田朋子さん、工藤純子さん、こんなに分厚い季節風の編集、ほんとにほんとにお疲れさまでした〜
あ、もうひとつ、最後の最後に、『忍剣花百姫伝』全七巻の書評を、あだちわかなさんが書いて下さいました。ありがとうございました! わかなさんがいいとおっしゃるなら、その全文をいつかブログでご紹介したいと思います。
季節風のホームページはここをクリック

封印します


悲しいことは今日、封印します。
お別れ会のその日まで。
ノンちゃんのブログで紹介されている『1ねん1くみ』シリーズ(著/後藤竜二)のくろさわくんの言葉が、全く後藤さんの声に聞こえてしまうので。




私は今、『時空忍者おとめ組4』を書いています。最終巻です。
本能寺の変から始まります。
明智光秀の闇討ちから、おとめ組は信長や乱、七丸、坊丸、力丸たちを救えるのか〜
ようやく、最終巻までこぎつけてほっとしています。
誰も想像しなかった結末を目指して……。

後藤竜二さんのこと

毎日、後藤竜二さんのことを思います。まだ、信じられないのです。
もう、あの笑顔がこの世にないなんて……どうしたら、信じられるのでしょうか。さんざ泣いたのに、ひしひしと寂しさが身に迫ってきているのに、記憶の中の笑顔があまりに溌剌と若くて、お元気で……だからでしょうか。
私は、後藤さんがいて下さったからこそ、世に出せたシリーズがあります。
きっかけは、私のデビュー作『風のラヴソング』でした。
風のラヴソング(完全版) (講談社青い鳥文庫)
1994年、デビュー作『風のラヴソング』が、日本児童文学者協会新人賞を頂いた時です。
授賞式と懇親会に、後藤さんがお見えになっていたのです。それもそのはず、同じ年に、季節風同人である八束澄子さんが『ふぇにっくす丸―青春航路』で、協会賞を受賞されていたので、おそらくそのお祝いに駆けつけてこられたのだと思います。
余談ですが、その時の八束さんのお美しさは、今でも目に焼き付いています。真っ白なスーツがまるでハレーションを起こしたかのようで、白い光に包まれて見えた八束さん。そのそばに、後藤さんがおられました。
私は、素人からいきなりのデビューで、児童文学界には全く無知でしたので、むろん、後藤さんがすごい作家さんだなんて知りませんでした。いや、後藤さんだけでなく、当時の現代児童文学のほとんどを知らなかったのです。
私が知っていたのは、当時ですらすでに伝説となっていた古典的名作を集めていたほるぷ出版の『日本の児童文学』という全集ぐらいでした。当然、当時、旬であった作家さんたちの作品はほとんど入っていませんでした。
しかも、デビューする以前はイラストレーターでしたから、絵本はかなりくわしかったのですが、現代児童文学の分野は門外漢だったのです。
その時、後藤さんがお声をかけて下さいました。どのようにおっしゃったのか、緊張でこちんこちんでしたから、よく覚えていません。でも、その時、季節風にお誘い下さったのだけはよく覚えています。
後に、その時のことを、後藤さんはこうおっしゃいました。
「『風のラヴソング』はほんとにいい。あれを読んで感動して、越水利江子に声をかけたんだよ。あんな作品をもっと書いてよ」と。そして、二度、季節風の連載をすすめて下さいました。
その一つが、「風の日もまわり道」というタイトルで連載した『竜神七子の冒険』(小峰書店)でした。
でも、連載が終わってから、私はこの作品をエンタメ風に改稿してみたのです。
それを読んだ後藤さんのセリフを、私は今でも忘れもしません。
「これなら本にしてくれる所はあるだろうけど、これを出すっていうなら、オレはカラダをはって阻止するぞ。越水利江子がこんなものを出しちゃだめだ!」と。
改稿の全否定でしたが、かえって、私は力をもらいました。「そっか、方向を変えてはいけないんだ」と。
その後、エンタメ路線を捨て、文学作品として『竜神七子の冒険』は出版されました。
竜神七子の冒険 (文学の散歩道)
力足りずとはいえ、高橋秀雄さんの名作といっしょに、なんとか、某協会賞の最終選考まで残っていたのを振り返れば、後藤さんのアドバイスの確かさを感じます。
そして、二つめが「地上の少年」というタイトルで連載した『あした、出会った少年』(ポプラ社)でした。この物語は、日本児童文芸家協会賞を受賞しました。(※現在は、『風のラヴソング』『竜神七子の冒険』『あした、出会った少年』をそれぞれ、ヤングアダルト以上の一般文庫にしてくれる版元を探索中です。なぜか、この三冊は子どもたちより、女子中高生以上、大人の読者や同業者に愛された本だったものですから)
あした、出会った少年―花明かりの街で (for Boys and Girls)
そして、その後も、後藤さんは「『竜神』も『あした』も悪くないけど、『風のラヴソング』の続きを書いてよ」と言い続けられました。「ああいう作品を、オレはずっと待ってるんだよ」と。
そのリクエストにおこたえできないまま、今日この日を迎えてしまいました。
後藤さんが亡くなってしまった数日後、七夕の日でした。
季節風の佐保ちゃんが、ブログに書いて下さったのです。


「以前、大会で、後藤さんは私にこうおっしゃいました。『越水は風のラヴソングのような純文学を書くべきだよ。オレはそれを読みたい』って。」
そう知らされた夜、パソコンの前で号泣しました。
もう、何を書いても、後藤さんには読んではもらえないのだと……。
「越水、よくやった!」と、あの笑顔でいってもらえることはないのです。
きっと、季節風の仲間は、みんな同じ思いでいらっしゃると思います。私だけでなく、お一人お一人が後藤さんへの思いを抱いて、作品を抱いて、ひそかに涙を流されていることでしょう。
後藤さんはそういう方でした。

後藤竜二さんのご本

他のことが考えられないので、後藤竜二さんのご本をご紹介します。
『野心あらためず』著/後藤竜二(この本は初版の講談社版/ 現在は新日本出版社
野心あらためず―日高見国伝新日本出版社版⇒)
時は八世紀後半、大和朝廷の支配がいまだ盤石でなかった時代。
東北地方の蝦夷(えみし・この時代の先住民族への蔑称)の少年アビを主人公に、戦乱の日高見国の群像を描いた歴史ロマン大作。野間児童文芸賞受賞作。







幕末・南部藩大一揆 白赤だすき小○の旗風『幕末・南部藩一揆 白赤だすき小○の旗風』著/後藤竜二新日本出版社
乱世山城国伝『乱世山城国伝』著/後藤竜二新日本出版社
これらの本も、同じつながりを感じる歴史ロマン。どの本も、民衆の魂、民衆の底力を感じて、ふつふつと勇気がわいてくる物語です。
骨太の歴史ロマンは、後藤さんが最も魂を込めて書かれていた分野ではなかったでしょうか。
ぜひ、読んでみて下さい。
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