悲しみよこんにちは

これまで、いろんな本を読んできましたが、このタイトルほど素敵なタイトルはなかったような気がします。少女の心にすーっと入ってくるという意味で。
亡くなるまでフランス文壇の寵児であったフランソワーズ・サガンが、19歳の夏に書いた処女小説です。
主人公セシルは、もうすぐ18歳の少女。プレイボーイの父レイモンの恋人たちに、女性としての嫉妬と反感を感じています。
南仏の海辺の別荘でのヴァカンス、そこで知り合った大学生シリルとの淡い恋、父の再婚の予感……屈折した少女の愛と孤独を描いて、少女小説聖典とも呼ばれる物語です。
悲しみよ こんにちは (新潮文庫)
でも、このタイトルには、少女ばかりでなく、大人の女も大人の男も惹きつける魔力があるような気がします。
小説そのものより、タイトルにこそ、強い魔力を感じるのは、わたしだけではないような気がするのです。なぜなら、いい大人のわたしが、いまだ、時折、つぶやいていたりします。「悲しみよ、こんにちは……」と。
誰にとっても、人生は辛く苦しいものです。嬉しいことは一年一度の花見のようなものでしょう。
365日の300日ぐらいは身をけずって働いているけなげな私たちに、月に一度ぐらいは、悲しみの天使が「こんにちは」とやってきます。
……自分はなぜ生まれ来たのかという思い、自分という人間を心から愛してくれる人に出会うことなく死んでいくのではないかという恐怖、求めて得られない愛、見つけられない生きがい、働いても働いても楽にならない暮らし、生きるということは一歩一歩死に近づいているのだという現実……誰もが、際限なく襲ってくる悲しみの数々に息がとまりそうになります。それが、人生なのです。
でも、その悲しみに囚われて暗闇にとじこもるのではなく、「悲しみよこんにちは」と、悲しみを受け入れる柔らかさが、このタイトルにはあるのです。
「こんにちは」とやってきた悲しみは、いつか「では、さようなら」と去っていくのです。そしてまた、違う悲しみの顔をして天使はやってきます。「やあ、こんにちは」と……。
だからこそ、悲しみの天使を迎える私たちも身がまえず、「こんにちは」と迎え入れ、「さようなら」と送り出せばいいのだと思うのです。
その合間には、青空も見えるし、桜の花も咲き、光る風も吹きわたってくれます。つぎの「こんにちは」までに、それらの自然から、世界から、生きる力をもらって、晴れやかに生きれば、喜びの天使も訪れてくれます。

「生まれたからには生きていく。同じことなら笛吹いて」
これは、今年お亡くなりになった児童文芸家協会会長、川村たかし先生のお言葉です。
このサイン色紙を、昔、私は5千円だったかで買いました。色紙代金は児童文学者協会への寄付になるという催し会場で。
同じく、私も額装した絵を寄付して、それは1万円だったか1万5千円だったかで売れ、その代金も協会に寄付したのです。でも、その頃のわたしの収入たるや、年収150万ぐらいだったと思います。子ども二人を抱え、その日の食費にも足りないような貧乏暮らしだったのです。
でも、迷わず絵を寄付し、色紙を買ったのは、「私のような貧乏作家でも、少しでも協会の役に立てれば」と思ったからです。
その協会を、今年、退会しました。今は、あの時に比べれば収入も増えました。あの頃は、ほんとに爪に火をともすようにして、協会会費を払っていましたが、今はなんとか頑張れば会費を払い続けられる程度の収入は得られるようになったのです。
その今、児童文学者協会を退会する決意をしたのは、児童文芸と児童文学という2つもの協会に所属することに疲れを感じたからかもしれません。この17年間、児童文学者協会が、私にとってずっと遠いままだったからなのかもしれません。遠い……というのには、さまざまな思いがあって、いちがいにこれがこうといえないのですが、あえていえば、「さようなら」と送り出す時期が来てしまったのかもしれないと感じています。
「さようなら」と送り出せば、いつかまた、「こんにちは」と出会う日がやってくるかもしれません。

これからも、私は「生まれたからには生きていく。同じことなら笛吹いて」という川村先生のお言葉通りに、明るく笛を吹いて生きていければと願っています。
そして、私はもう1枚、色紙を持っています。児童文学者協会会長那須正幹さん(先生と呼ぶと叱られるので…)の「子どもは太陽」と書かれた色紙です。
この色紙は、児童文芸家協会の「川村たかし展」の実行委員として、半年間、あれこれボランティアをしたご褒美に頂いたものです。
今は仕事が忙しくなって、そういう催しのお手伝いもなかなかできなくなりましたから、どちらも、私にとって、その頃の人生に重なった大切な思い出の品となりました。振り返れば、人生は「こんにちは」と「さようなら」で出来ているのかもしれないなあと思う今日この頃です。

「生まれたからには生きていく。同じことなら笛吹いて」の色紙を見た当時の夫がいった一言。
「いやあ、どっちかいうと、『生まれたからには生きていく。同じことならホラ吹いて』やろ。どや、これ!」(彼は生粋の大阪人)
どひゃひゃの能天気家族をモデルにした「こんにちは」「さようなら」の物語、『竜神七子の冒険』を書いたのは、色紙を買った9年後でした。
竜神七子の冒険 (文学の散歩道)

さて、青い鳥の「おもしろい話を読みたい!」のアンソロジー作品は入稿しました。
これから、川村先生への追悼のことばを書いて、児童文芸の編集部へ送らねばなりません。さ、もうひと頑張り!
お昼がまだなのでお腹が空きました。コメントのレスは夜まで待って下さいね。